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アウレリウス

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Aurelius

  • Author:Aurelius
  • 1983年、淀みから誕生
    体長:0.1ミリメートル~60メートル
    体重:4万8千トン(最大時)
    攻撃:ヘドリューム光線、ヘドロ弾、硫酸ミスト
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羯諦

Sun.14.01.2007
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また葬式に出た。

多分俺は2,3ヶ月に一回は喪服を着ていると思う。ちなみに去年は最高隔週ペースで葬式があった。おかげさまで何かの折にはもう喪主を務めることができるぐらいの知識を得てしまいましたよ。


で、今までさまざまな宗派の葬儀に参加しましたがほぼすべてにおいて読まれているのがご存知「般若心経」。これを読むタイミングは違えど必ず読みます。まあ、「般若心経」っていうのはたしか三蔵法師が犬とか猿とか雉とか連れてインドから持ち帰った法典だったと思うんですけど、内容はお釈迦様が弟子らに完全な智慧の修行の方法を説くとかそういうものだったと思う。


つまり、死んでしまいこれから仏となる死者にその修行の方法を説明するようなものなのだろう。その極意であるのが「空」の思想。

たしか、自分の体っていうのは知覚やイメージを通して感じるものなんだけど、それって体があるから感覚があるんじゃなくて先に思考やイメージなどの感覚があるから体を感じるっていう考え方らしい。体っていうのはあくまで二次的に存在する思考のインターフェースであるから体なんてのは初めっからは無いものという考え方になる。すると体で感じる苦痛や目に見える環境、状況で感じる苦痛って言うのは初めから存在しない。


体を仮にパソコンに置き換えれば、意思体って言うのはCPUであり、USBで繋いだマウスやらディスプレイやらはすべてインターフェースみたいなもんだ。 


しかも、この感覚という個人の中核たる部分さえ、お釈迦様は実体の無いものだといっている。つまり感覚も知覚、思考も無いと。すると苦しみも、その原因も、それを取り除くことも、無い。目に映る世界も、心の世界も無い。この境地において修行の妨げになるものは完全に無くなる。



と、いうところまでは調べて理解したんだが。では何故寺の中はあんなにも金ピカなのか。葬儀には形式が付きまとうのか。


完全に悟ればそんなものも気にならない(存在していない)と言うのだろうけど。じゃあ存在もしていないことに義務を感じて行っている私たちの立場は。和尚さんは何故パチンコが趣味でベンツに乗っているのか。


これほど俺が仏教に惹かれるのは「考えることを無意味化する一方で深く考えることを求める」という堂々巡りのシステムの罠が完全に機能した宗教であるからではないか。



ちなみに今日バイト先で「話が長い」と言われた。

確かにそのようだ。


またあした。
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